
“祈り” という言葉そのものに、少し抵抗があったものです。
二つ目の十字架を縫いながら思います。
…思い出すと、去年の夏には「再発したら、心臓とか脳かも知れないよ。そういうところを手術したい?」なんて意地悪な言い方をされたなあ。
映画「ラストエンペラー」を見た時は、幼すぎて眠かったけど、幼い皇帝が城を出ようとした刹那に門扉を閉められ、大切にしていたペットのネズミを門に叩きつけたシーンが妙に印象に残ります。
言葉そのものに抵抗はあっても、もし、自分のために祈ってくれているとしたら嬉しくなる人というのは、分かる気がします。