レザーキーホルダー “女神のアンカー” を公開しました。
日の出の太陽へ向かって歩く女神。伸ばされた右手は自由の精神を受け取るためと言われます。
“ウォーキング・リバティ” というデザインのコンチョです。
アンカー(碇)をモチーフとするレザーと一体となっています。
気高く堂々とした姿は、ある時のあなた自身の姿かもしれません。
サイズやメイキングなど、詳しくは次のリンク先でご確認ください。
レザーキーホルダー “女神のアンカー” を公開しました。
日の出の太陽へ向かって歩く女神。伸ばされた右手は自由の精神を受け取るためと言われます。
“ウォーキング・リバティ” というデザインのコンチョです。
アンカー(碇)をモチーフとするレザーと一体となっています。
気高く堂々とした姿は、ある時のあなた自身の姿かもしれません。
サイズやメイキングなど、詳しくは次のリンク先でご確認ください。
“女神のアンカー”は、仕上げのオイルが馴染むまで、綿100%のふかふかベッドです。
明日にはお披露目したいです。
そして、右下の黄色い菓子は、お気に入りの愛月堂の“愛々菓”。
…さて、看護師とのお話をしてきました。
その後、十人近い看護師に尋ねたのですが、見事に全員、看護師は夢そのものでした。もちろん偶然かも知れません。
夢に「母親や親戚の姿に憧れていて」というのが足されることもありました。
丁度その頃「他人にイライラするのは自分自身に気付いていない問題があり、他人を通して気付かされそうになっているから…」と本で読んでいました。
夢をかなえた話を聞くのは嬉しそうでしたが、私は少し、イライラしていたかも知れません。
…ところで“愛々菓”は、クリームチーズとブルーベリーの幸せな甘味です。
今日は順番を逆にして、新人看護師の仮称M子が、点滴液を撒き散らして泣き出した後の話から…
M子は、両手でベッドの手すりを掴んだまま泣き震えているようでした。顔は見えません。
女の涙にはかなわない。
“男らしさ” のアキレス腱的なポイントを、まさかの角度で突きますね、あれは。
世界中の賢い人。ベストな言葉なり行動があれば教えてほしい。
「M子さんはどうして看護師になったの。」
適当に気が紛れる質問をしてみました。時間を聞くのもありかな、などと思いながら。
「夢だったんです。」
立ち上がったM子は、別人のようでした。
まるで、耐えかねる怪我の痛みに歪ませていた柔道家の頬が、審判の「始めっ!」を合図にスッと下がるように。
…さて、レザーキーホルダー “女神のアンカー” 。
もう少しで完成です。
貼り付けたレザーの接着剤が落ち着いてから、切断面をヤスリ掛けして整えていきます。
この、縫う直前の初々しい美しさには、つい見とれてしまいます。
それでは今日も、看護師の話の続きをしましょう…
…専門学校を出たばかりの数人の新人が、先輩と二人ずつのチームを組んでいました。
研修でしょうね。
新人といっても様々で、笑顔と勢いでヒョイヒョイこなす者もいれば、休憩時間を犠牲にした挙句、先輩から休憩の大切さを説教されて落ち込んでしまうような者もいました。
その、叱られて落ち込んだ新人。仮にM子としましょう。
M子が目を赤らめたままやって来ました。点滴の交換です。
チューブの途中についている器具を調整していた時です。
器具が外れて点滴の液がピューンッと宙を舞いました。
液はなかなかの勢いで、振って開けたコーラのようです。
「わたし、どうしたらいいんですか。」
M子がベッドの手すりを両手でつかんで泣き崩れました。
…断じて言おう「私は責めたりしていない」。
繰り返そう「私は何もやって無い」。
そりゃあ、非日常的な光景に「あっ!」という顔くらいしたかも知れない。
だが、点滴液の水鉄砲を見て「あっ!」とならない豪傑が世界にどれだけいるだろうか?
いや、いるわけがないじゃないですか。
二枚のレザーを貼り合わせる直前です。濡れて見えるのは接着剤です。
飾りステッチの裏側や、仕込みの金具、レザーで作った環形のパッキンも張り付いてます。
このレザーパッキンを仕込むことで、コンチョの縁が浮くのを防ぎます。
随分違うんですよ。使い勝手も見た目も。
…看護師は、白衣や帽子を自分で選んで買うって知ってますか。
あの手のものは支給されると思い込んでいました。
さらに聴診器まで、自前で、ファッションの一部だと言います。
その手の話が素人にとって意外なことは、看護師たちの方が心得たもののようで、楽しそうに話してくれました。
色々聞かせてくれるうち、看護師達のとある共通点を知ります。
それは、院内ファッションのような表面的なことではありませんでした。
痛みがほぼ消えて、とても楽です。
パーツごとのレザーの下準備をしていますが、やっぱり痛みがるような時は上手にやり過ごした方が、結果、手際も出来栄えも良いと実感します。
…さて、病院でのこと。
しばらく過ごすことになるのだから、せめて、朝晩に挨拶に来る担当の看護師は覚えようと思いました。
数えてみたら、今でも十四人の名前と顔が浮かびます。
そのうちの二人は男です。時代の変化ですね。
さりとて、女性ばかりの中で、さぞご苦労もあろうかと思いましたが、力仕事などやはり頼りになるようで、楽しそうなものでした。
おそらく大変な仕事なんだろうと、想像できますよね。
夜勤とか、汚れものの処理とか、一晩中ナースコールし続けるおじいさんの対応など、間近で見ると想像を遥かに超えていました。
そんな激務にも関わらず、一番“上手にやり過ごしてる”タイプの看護師ですら、どうしてまあこれだけ心遣いが出来るのかと、不思議で仕方ありません。
ちょっと聞いてみたくなったわけです。
少し体が痛い日が続いています。
それでも作りたくて、鎮痛剤など飲んで「裁断くらいは」とやってみるのですが、ままならなくて、やっぱり一休みします。
すると、看護師という人たちを尊敬するようになった道中の幾つかが思い出されてきました。
…その時は、病院に一番近いコンビニで、煙草を吸っていました。
歩いて5分程で、小雨も気にしませんでした。昼も夜もなく6時間ごとに起こされていたので、イライラもしていました。
吸い終わる頃に雨脚が強くなって、空を見上げました。
…雨降りには、人は空を見上げます。習性ですね。
二十歳くらいの女性が「私も病院に行きますので、一緒に行きましょう」。と、傘を掲げてきます。
病院に併設されている看護学校の学生だと言います。
さて、同い年くらいの病棟の看守に甘噛みのようなお叱りを受け、馬鹿話などしていると、彼女が校舎に入らず、来た道をそのまま戻っていく姿に気付きました…